都立高校衰亡史 3 - 1975年〜1979年

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 該当期間における各高校・各学区の5年通算東大合格者数です。残念ながら資料が完備しているわけでないので、合格数が5名以下の年度は資料がありません。資料が不足している数字には、「*」印を付けています。ただし、大枠には影響はありません。
 学校群導入後、この期間は大きな教育改革はありません。したがって、都民が持つ学校群の評価がそのまま合格実績に結びついてきます。

校名 1970-1974 1975-1979 増加率
#2 702* 452* -35.6%
#21 駒場 24* 17* -29.2%
#21 新宿 137 11* -92.0%
#22 戸山 361 238 -34.1%
#22 青山 158 186 17.7%
#23 都立大付 17* 0* -100.0%
#25 明正 5* 0* -100.0%
#3 583* 428* -26.6%
#32 西 399 241 -39.6%
#32 富士 147 187 27.2%
#33 豊多摩 7* 0* -100.0%
#34 大泉 30* 0* -100,0%
#7 238* 227* -4.6%
#72 立川 141 116 -17.7%
#72 国立 93 111 19.4%
#7x 秋川 4* 0* -100.0%

 第二学区、第三学区、多摩地区は依然として名門都立を維持していますが、学区全体で2割から3割の減少を見ています。多摩地区だけは1割以下の減少でとどまっています。トップ校と組んだ青山、富士、都立国立だけが好調を維持しています。また、最難関以外の学校群からは、徐々に東大合格者の姿が消えていきました。東大に100人合格させていた新宿高校も例外ではありません。

校名 1970-1974 1975-1979 増加率
#4 230 133 -42.2%
#41 小石川 180 85 -52.8%
#41 竹早 50 48 -4.0%
#6 191* 88* -53.9%
#61 両国 124 73* -41.1%
#61 墨田川 60 8* -86.7%
#61 小松川 7* 7* 0.0%

 第四学区、第六学区は、小石川、両国を擁する学区です。4割から5割減の厳しい状況です。名門公立校が姿を消していく過程です。

校名 1970-1974 1975-1979 増加率
#1 493* 105* -78.7%
#11 日比谷 264 79 -70.1%
#11 九段 69 15* -78.3%
#11 三田 34* 0* -100.0%
#14 小山台 94 11* -88.3%
#14 田園調布 32* 0* -100.0%
#5 78* 6* -92.3%
#52 上野 51 6* -88.2%
#52 白鴎 27* 0* -100.0%

 第一学区と第五学区では、名門公立校が姿を消しました。日比谷が辛うじて年平均15人ペースで東大合格者を出しています。第五学区では本当に公立出身の東大生が姿を消しました。1970年代後半において、既に、この地域で「公立中→公立高→東大」という人材発掘手段が消滅しました。

校名(1979東大)
1 開成 121
2 114
3 筑波駒場 102
4 学芸大 101
5 麻布 97
6 ラサール 87
7 ★西+★富士 86
7 武蔵 86
9 ★戸山+★青山 85
10 ★国立+★立川 62

 上記の表は学校群補正を掛けた東大合格者数高校別ランキングです。都内全体では徐々に私立流出が始まっていますが、地区トップ校(地区トップ群)はまだまだ健在でした。西・富士群が7位、戸山・青山群が9位、国立・立川群が10位です。全国公立校の上位3校を独占しています。学校群がなければ、多摩地区から上位10校にはいる名門公立校が誕生していたことになります。幻の名門校ですね。当時は浦和や湘南のような周辺県の公立校が目立っていたのですが、それを寄せ付けない実績です。東京都の公教育の水準はまだまだ健在でした。