各高校の5年間通算東大合格者数です。残念ながら資料が完備しているわけでないので、合格数が5名以下の年度は資料がありません。資料が不足している数字には、「*」印を付けています。ただし、大枠には影響はありません。
1964年〜1968年が学校群導入前の卒業生、1969年は東大紛争で入試が中止になった年です。1970年〜1974年が学校群導入以後の卒業生です。
群 | 校名 | 1964-1968 | 1970-1974 | 増加率 |
---|---|---|---|---|
#1 | 1003* | 493* | -50.8% | |
#11 | 日比谷 | 767 | 264 | -65.6% |
#11 | 九段 | 53* | 69 | 30.2% |
#11 | 三田 | 0* | 34* | |
#14 | 小山台 | 183 | 94 | -48.6% |
#14 | 田園調布 | 0* | 32* |
第一学区は日比谷がある学区です。学校群導入以前は日比谷単独で年平均150名以上、学区全体で年平均200名以上合格者を出していました。学区内の有力校、日比谷は3分の1、小山台は半減しました。三田、田園調布などは、学校群のおかげで東大合格者を年平均6名程度輩出する学校まで成長しましたが、九段は思ったほど伸びず、学区全体で潰滅的な打撃を受けてしまいました。
群 | 校名 | 1964-1968 | 1970-1974 | 増加率 |
---|---|---|---|---|
#2 | 935* | 702* | -24.9% | |
#21 | 新宿 | 397 | 137 | -65.5% |
#21 | 駒場 | 0* | 24* | |
#22 | 戸山 | 499 | 361 | -27.7% |
#22 | 青山 | 5* | 158 | 3060.0% |
#23 | 都立大付 | 26* | 17* | -34.6% |
#25 | 明正 | 0* | 5* | |
#25 | 千歳 | 8* | 0* | -100.0% |
第二学区は、戸山、新宿と二つの東大三桁合格校がある学区です。この学区は戸山のある22群に優秀層が集中してしまいました。22群の青山が30倍の急成長をして、新宿以上の東大輩出校に躍進しました。戸山+青山は504名から519名になり、学校群以後もレベルを維持しました。結局、新宿に学校群のシワ寄せが集中してしまいました。第二学区は新宿の減少分がそのまま学区全体の減少分になりましたが、戸山を含む学校群は健在で、都立のレベルは維持できています。
群 | 校名 | 1964-1968 | 1970-1974 | 増加率 |
---|---|---|---|---|
#3 | 744* | 583* | -21.6% | |
#32 | 西 | 630 | 399 | -36.7% |
#32 | 富士 | 16* | 147 | 818.8% |
#33 | 豊多摩 | 44 | 7* | -84.1% |
#34 | 大泉 | 54 | 30* | -44.4% |
第三学区は、西のある学区です。有力校が西だけだったので、比較的動向の読みやすい学区です。西と同じ学校群の富士が8倍の急成長をしました。西+富士は646名から546名になりましたが、それほど大きなレベル低下にはなっていません。逆に他の高校が大幅に減らしてしまいましたが、これは、学校群の影響か、すでに潜行していた私立への移動か分かりません。第三学区も学校群導入後も都立のレベルは維持できたようです。
群 | 校名 | 1964-1968 | 1970-1974 | 増加率 |
---|---|---|---|---|
#4 | 329* | 230* | -30.1% | |
#41 | 小石川 | 319 | 180 | -43.6% |
#41 | 竹早 | 0* | 50 | |
#42 | 北園 | 10* | 0* | -100.0% |
第四学区は小石川のある学区です。ここも単純な勢力図だったので、小石川と同じ群にいる竹早が東大に毎年合格者を送り出す学校に成長しました。小石川+竹早は319名から230名となり、30%近く減らしましたが、学校群によるダメージはそれほど大きなものではありませんでした。第四学区全体でも同様です。
群 | 校名 | 1964-1968 | 1970-1974 | 増加率 |
---|---|---|---|---|
#5 | 190* | 78* | -58.9% | |
#52 | 上野 | 185 | 51 | -72.4% |
#52 | 白鴎 | 0* | 27* | |
#53 | 江北 | 5* | 0* | -100.0% |
第五学区は上野が引っ張っていた学区でしたが、学校群導入後は、白鴎と合わせても半減となり、学区から名門都立が消滅しました。皮肉にもこの学区には開成があります。
群 | 校名 | 1964-1968 | 1970-1974 | 増加率 |
---|---|---|---|---|
#6 | 266* | 191* | -28.2% | |
#61 | 両国 | 266 | 124 | -53.4% |
#61 | 墨田川 | 0* | 60 | |
#61 | 小松川 | 0* | 7* |
第六学区は両国が核となりました。同じ学校群の墨田川が安定して東大合格者を出す学校に成長しました。傾向は小石川のある第四学区と似ています。
群 | 校名 | 1964-1968 | 1970-1974 | 増加率 |
---|---|---|---|---|
#7 | 132* | 238* | 80.3% | |
#72 | 立川 | 132 | 141 | 6.8% |
#72 | 国立 | 0* | 93 | |
#7x | 秋川 | 0* | 4* |
第七学区以降は多摩地区の学校なので都区部と傾向が異なります。多摩地区は当時人口急増地区だったので、学校群の影響とは無縁に成長をしました。立川と組んだ都立国立は実績を伸ばしましたが、学校群のおかげというより、この学区全体の生徒数が増えたことが原因でしょう。
位 | 校名(1974東大) | 数 |
---|---|---|
1 | 灘 | 120 |
2 | 教附駒場 | 115 |
3 | 開成 | 98 |
4 | 学芸大附 | 91 |
5 | ★西+★富士 | 90 |
6 | ラサール | 86 |
7 | ★戸山+★青山 | 85 |
8 | 教育大附 | 84 |
9 | 麻布 | 74 |
10 | 湘南 | 66 |
上記の表は1974年の東大合格者数高校別ランキングです。学校群補正を掛けたものです。32群(西+富士)は公立ナンバー1ですし、ベスト10内に22群(戸山+青山)も入っています。公立で全国1、2です。学校群導入で、いきなり都立のレベルが落ちたわけではありません。