都立高校衰亡史 1 - 導入

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ローマ帝国衰亡史 全10巻セット (ちくま学芸文庫)

 首都圏公立の教育改革の成果をまとめてみようと思ったのですが、その前に都立高校が学校群以後衰亡していく状況を正確に把握しておく必要を感じました。
 冒頭に『ローマ帝国衰亡史』の画像を貼り付けています。全くこのブログとは関係ないのですが、ローマ帝国はいつ滅亡したのかと同じく、都立はいつ凋落したのか、実は共通認識が定まっていません。正史では、ローマ帝国が滅亡したのは、西暦1453年のコンスタンティノーブル陥落です。ただ、西暦476年にゲルマン民族によりローマが陥落したのが、あまりにも衝撃的な出来事であり、そこでローマ帝国が断絶したような印象を受けます。
 実は、都立も学校群導入で、日比谷がつぶされた(あえてこの表現を使います)のが衝撃で、そこでもって都立は終わったと印象を持ちますが、都立の伝統が残った学区もたくさんありました。しかし、その後、私立勢に追い上げられ、徐々に都立が優勢な学区が減っていきます。ではいつ都立が終わったのか誰もわかりません。各学区の住民にとっては自学区の都立が劣勢になったときを都立の終了とします。しかし、他の学区のことはあまり正確に覚えていないものです。

学区 行政地域
第一学区 千代田区、港区、品川区、大田区
第二学区 新宿区、渋谷区、目黒区、世田谷区
第三学区 中野区、杉並区、練馬区
第四学区 文京区、豊島区、板橋区、北区
第五学区 中央区台東区荒川区、足立区
第六学区 墨田区江東区葛飾区、江戸川区
第七・八
・九学区
多摩地区

 上記は1952年の学区合同選抜制度で採用された学区です。この学区は1967年の学校群にも引き継がれています。ただ、合同選抜制の場合は、第一志望で単独の高校を選べますし、第一志望に不合格でも学区合格をしていれば、定員割れの高校に第二志望として合格できますので、都立内でフェールセーフが機能した制度でした。また、越境受験や住民票移動にも比較的寛容で、学区もそれほど厳密なものではありませんでした。その制度のもとで、都立は、日比谷、西、戸山、新宿という東大三桁合格校*1を始めとして、東大合格者数で上位の常連になっていました。

校名 校名
1 ★日比谷 128 11 ★小石川 60
2 ★西 126 12 開成 58
3 95 13 武蔵 55
4 ★戸山 92 14 ★両国 54
5 ★新宿 84 15 ★上野 41
5 麻布 84 16 浦和 40
7 教附駒場 82 17 ★小山台 40
8 教育大附 81 18 栄光学園 36
9 旭丘 71 19 天王寺 32
10 湘南 66 20 高松 30

 上記の表は1966年の東大合格者数高校別ランキングの上位20校です。★印が都立高校です。学校群入試が導入されたのは1967年で実際の卒業生は1970年からですが、このような制度変更は事前に噂が立ち、それに備えて受験動向が変化し、既に国立私立勢が実績を伸ばし始めていました。それは、現役高校生や教師にも微妙に士気の低下をもたらしたでしょう。いつまで遡れば影響力を排除できるか曖昧ですが、公式に制度導入の決定が発表される直前の合格実績が一つの目安となるでしょう。