東大二桁合格校列伝 - 1950年東京都第七学区等(立川)

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校名 初二桁 人数 最高 人数 最終 登場
21 立川 1950年 10名 1970年 34名 1990年 36回

 1950年の都立で最後に紹介するのは立川高校です。旧制府立二中で、府立一中である日比谷高校の次に伝統があります。当時の多摩地区は人口が少なく二桁合格校として優秀な生徒を集めるのは簡単ではありません。多摩地区の人口急増とともに伸びてきて、学校群時代も都立でトップグループにいました。多摩地区の場合、教育行政改革で不利益を被ったのは、学校群ではなく、グループ合同選抜による学区の細分化でした。グループ合同選抜の卒業生が出てから、6年後の1990年を最後に二桁合格校から遠ざかりました。現在は、都立進学重点対策校として再出発をしています。