トップ校の交代 - 全都学区時代

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 2001年から東京都は都立高校に対して、様々な進学校としての取り組みを開始しました。今回の取り組みは個別の高校に対して行われたもので、全都立高校を巻き込む形での制度改革は学区撤廃です。これで、東京とは全都学区になりました。次に、特定校だけですが、2005年の都立中高一貫校の新設です。東京都で初めて公立中が受検による選抜を行います。学区撤廃を区切りとするなら2006年が、中高一貫新設を区切りとするなら2011年が新時代の開始となります。
 ここでは、2006年を区切りにする説を採ります。それは過去において、全国首位を取った高校は全て高校募集をしていること、三桁合格校は過去に12校ありますが、麻布1校を除き、他はすべて高校募集を行っていること、進学校の盛衰を決めるのは高校募集だからです。

  • 表の公立首位校は首都圏限定、首位校、二位校が複数ある場合は前年度の東大合格者が多い学校を優先
全国首位校 全国二位校 公立首位校 公立二位校 参考
2006 開成(140) ○麻布(89) 千葉(23) 土浦第一(21) 岡崎(36)
2007 開成(190) ○灘(100) 浦和(33) 土浦第一(28)
2008 開成(188) ○灘(114) 浦和(33) 西(28) 岡崎(40)
2009 開成(138) △筑波駒場(106) 浦和(36) 千葉(27) 岡崎(42)
2010 開成(168) ○灘(103) 日比谷(37) 浦和(29) 岡崎(41)
2011 開成(171) △筑波駒場(103) 浦和(30) 日比谷(29) 岡崎(38)
2012 開成(203) ○灘(98) 浦和(40) 千葉(31) 旭丘(32)
2013 開成(170) ○灘(105) 浦和(46) 西(34)

 まだ、この時代は始まったばかりです。現状では8年間で、浦和がトップ6回、千葉が1回、日比谷が1回です。土浦第一が後退したというより、首都圏の中央よりの学校が盛り返したとみるのが正しいでしょう。浦和の復活は、埼玉県も東京都に続いて、学区撤廃により全県学区になったことが一番の理由です。
 全都学区、全県学区は優秀層を特定校に集めるだけで、二番手以降の学校は落ち込むと言われてきました。現実はそうでないことが明らかになりました。学区撤廃は、優秀層の集積による相乗効果や、私立に流れていた層を食い止める効果をもたらします。東京都も埼玉県も学区撤廃で二番手以下が落ち込んだという現象は出ていません。正確には、二番手校以下の順位の入れ替えは行われますが、それぞれの都県内の公立高校からの東大合格者数の合計は増えています。
 公立二位校に都立が復活したのは2008年で、西が記録した1978年以来30年ぶり、そして、公立首位校を都立が獲得したのは2010年で、これは西が記録した1973年以来37年ぶりです。
 全国的には首位校は相変わらず開成ですが、二位校に灘が来ることが多くなり、相対的に他の都内私立校、国立大附属校が合格数を減らしているという傾向があります。