バトルフィールド埼玉2011 - 完結編 - 3/3

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 当初、都立の教育改革が影響力を持ち始めると捉える人はいませんでした。ある意味、お役人のお遊びでしょうという嘲笑した捉え方です。2001年当時、都立の東大合格者数を紹介します。

2001年度東大合格者数 - 校名
15 八王子東
13 西
10 戸山
5 国立
4 小石川 両国
3 日比谷 都立武蔵
2 青山 白鴎
1 国際 神代 隅田川 立川 保谷 三田

 合計67名です。参考までに2001年度の東大合格者数は、開成175名、筑駒96名、麻布87名、学附75名、駒東68名、桜蔭67名、海城65名、巣鴨58名、武蔵45名です。あまりにも開きが大きすぎます。ところが高校募集主体である都立重点校に都内の私立一貫校が翻弄されはじめていくのです(詳細は記事を改めて書きます)。この状況でバトルフィールド埼玉に微妙な力関係の変化が生じ始めます。1990年代には毎年50名以上も東大に合格していた都内私立一貫校が2004年の東大定員減を境に50名以下に減らし始めます。となると「都内の私立一貫校に行かせるよりも地元の中堅校で十分」という意識がわずかですが生じ始めます。これと同時に都立の古豪が東大合格者を20名以上輩出することが常態化します。高校募集でも中学募集でも都内私立一貫校が独占構造を失いはじめました。

年度 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011
浦和 22 27 16 33 33 36 29 30
埼玉公立 21 24 23 16 26 35 32 28
埼玉私立 17 18 22 20 28 30 28 46
合計 60 69 61 69 87 101 89 104

 上表は埼玉県の東大合格者数の推移です。埼玉県では2004年に学区を廃止したので、浦和高校が2007年以後、躍進するという予測は立っていました。ところが、2008年を境に公立勢も私立勢も攻勢に転じました。2008年の3年前は2005年で、都内私立勢が高校募集で影響力を失った年と合致しますし、さらにその6年後の2011年は今年で、埼玉私立の躍進が本物となった年です。今年は「白鴎ショック」「開智ショック」という象徴的事象が重なった年でもあります。

 ただし、都内私立一貫校も危機感を抱き始めたようで、多摩地区にあり埼玉県西部からの通学圏にある桐朋はカリキュラムの見直しを行い今年は一定の成果を上げたようですし、巣鴨も医学部指向をバネにして建て直しを始めています。バトルフィールド埼玉2012もますますヒートアップしてくるでしょう。