仮面の公立王国 4 - 中学受験ブーム

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 浦和高校全盛期80年代までは、埼玉県には中高一貫校はほとんどありませんでした。厳密に言えば4校ほどありましたが、とても、大学合格実績を競うような進学校ではありません。その理由として、「公立王国に私立一貫校が進出しても生徒が集まらない」「東京都私学一貫校の影響が大きく、埼玉県私学には生徒が集まらない」があります。
 まず、浦和高校、大宮高校と川越高校の合計の東大合格者数、城北、巣鴨と豊島岡の合計を示します。城北、巣鴨と豊島岡は埼玉県からのアクセスも良く、埼玉県出身者の占有率が高い学校として選びました。「*」印は情報が欠落しているので参考数値です。参考資料として、中高一貫校の開校年度と開校数を一覧にします。

年度 1951 1963 1978 1984 1985 1986 1987 1988
浦+大+川 54 44* 47* 69* 76 78* 64* 80*
城+巣+豊 0* 0* 0* 14* 15 15* 27* 26*
54* 44* 47* 55* 61 63* 37* 44*
一貫校開校 1 1 1 1
一貫校累計 1 2 3 4
年度 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996
浦+大+川 72* 71* 72* 60 65 68 64 30
城+巣+豊 39* 28* 44* 83 75 71 70 69
33* 43* 28* -23 -10 -3 -6 -39
一貫校開校 2 1
一貫校累計 6 7

 1980年代までは、埼玉県の公立高校に比べて、当時の都内新興私立は全く存在感はありませんでした。開成・武蔵のような御三家は存在感がありましたが、それは1950年代からの流れで、埼玉公立と都内私学は共存可能な状態でした。ところが、1985年から1992年の間に、当時の都内新興私立が急成長しました。これは、先日調査した都立のグループ合同選抜制度に関係ありそうです。従来は、都立に進学していた層が、この制度への不信感から私立一貫校へ大移動しました。
 この変化を敏感に感じたのが、埼玉県の小学生と私立高校です。埼玉県内の中学受験ブームと、中学校新設の気運になりました。中学受験ブームといっても大半が都内私立を目指しました。そして、浦和の東大合格数が激減した1996年ショックの遠因となります。1992年、1993年にようやく県内に私立一貫校の進出が始まります。先発隊として3校が中学校を開校しました。

年度 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004
浦+大+川 41 39 36 45 22 43 39 33
城+巣+豊 69 64 65 76 89 92 74 86
-23 -25 -29 -31 -67 -49 -35 -53
一貫校開校 2 3 1 1 4
一貫校累計 9 12 13 14 18
年度 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
浦+大+川 39 26 43 45 52 50 52
城+巣+豊 64 59 57 46 54 60 69
-25 -33 -14 -1 -2 -10 -17
一貫校開校 3 1 1 2 1 1
一貫校累計 21 22 23 25 26 27

 2000年までに12校が開校、2012年には27校にのぼっています。埼玉県の中高一貫校の半数以上は開校してからまだ10年以内です。県立3校も2001年には、都内3校に比べて、67名差も離されてしまいましたが、その後、徐々に差を縮め、今では10名前後の差に収まっています。その一つの要因として2004年の学区制廃止があります。