学校群15年史 - 導入 1967年 日比谷 全国1位

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 更新の間隔が開いてしまいましたが、速報性のある連載ではないので、日記を埋める形式で進めていきます。徐々に現在の日時(5月27日)に追いついていくと思います。

  • 東大合格者数の推移
1966年 都県 1967年 都県
1 日比谷 東京 128 1 日比谷 東京 134
2 西 東京 126 2 西 東京 120
3 ◎灘 兵庫 95 3 ◎灘 兵庫 112
4 戸山 東京 92 4 戸山 東京 104
5 ◎麻布 東京 84 5 △教育大附 東京 85 △3
5 新宿 東京 84 6 新宿 東京 77
7 △教附駒場 東京 82 7 ◎麻布 東京 75 ▼2
8 △教育大附 東京 71 8 旭丘 愛知 71 △1
9 旭丘 愛知 66 9 △教附駒場 東京 68 ▼2
10 湘南 神奈川 63 10 湘南 神奈川 67
11 小石川 東京 60 11 ◎開成 東京 60 △1
12 ◎開成 東京 58 12 小石川 東京 59 ▼1
13 ◎武蔵 東京 55 13 両国 東京 52 △1
14 両国 東京 54 14 ◎武蔵 東京 47 ▼1
15 上野 東京 41 15 小山台 東京 40

むかし〈都立高校〉があった

 以前から学校群時代を数字で正しく分析できる記事を書こうと思っていました。学校群により突然都立暗黒時代が訪れたと勘違いしているひとが多いので、そうではなく、都立学校群15年間は実に多彩な高校が首都圏・全国を問わず、伸びてきた時代でもあります。
 団塊世代による大学紛争終焉、工業地帯の公害問題が顕在化し、高度成長期からオイルショックになり、団塊ジュニアのベビーブームによる地方の時代が始まり、やがて、バブル景気へとつながる時代です。今では、信じられないかもしれませんが、学校群の終了間際1980年の国勢調査では47都道府県のうち46地区で人口が増加し、唯一人口が減少した地区は東京都でした*1
 当時いろいろな都道府県で学校群が導入されていましたが、特に東京都の学校群は、高校別東大合格者数の順位を一変させた意味で全国的にも大きな影響力を持ちました。学校群の詳細の内容は以下の記事にあります。1966年に検討され、1967年に実施された急ごしらえという批判を免れない制度です。実施時期は1967年から1981年までです。学校群制度のもとでの15年間高校入試が行われました。この期間の生徒が大学受験を現役で迎えるのは1970年から1984年の間です。