学校群15年史 - 終章と新時代 1985年

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  • 東大合格者数の推移
1984 都県 1985年 都県
1 ◎開成 東京 134 1 ◎開成 東京 157
2 ◎灘 兵庫 119 2 ◎灘 兵庫 121
3 ラ・サール 鹿児島 110 3 ラ・サール 鹿児島 117
3 学芸大 東京 110 4 学芸大 東京 100 ▼1
5 ◎麻布 東京 94 5 ◎麻布 東京 82
6 △筑波駒場 東京 89 6 ◎武蔵 東京 73 △1
7 ◎武蔵 東京 86 7 △筑波駒場 東京 72 ▼1
8 栄光学園 神奈川 62 8 栄光学園 神奈川 62
9 72立川+都立国立 東京 61 9 浦和 埼玉 61 △2
10 32西+富士 東京 58 10 △筑波大附 東京 59 △2
11 浦和 埼玉 54 11 湘南 神奈川 54
12 △筑波大附 東京 51 12 千葉 千葉 50 △2
13 22戸山+青山 東京 49 13 桐朋 東京 46
14 千葉 千葉 47 14 ◎久大付設 福岡 44
15 駒場東邦 東京 45 15 甲陽学院 兵庫 42

[浦和高校]
 学校群時代の生徒は既に現役大学受験生ではなくなりました。1985年から単独校の評価に移ります。希望の学校に進めない学校群、大学合格実績が過小評価される学校群を廃止して、もう一度、都立の進学実績を立て直すために導入されたグループ合同選抜制度*1ですが、優秀な生徒が特定校に戻ることはありませんでした。期待された西高校や戸山高校も15位以内に顔を出すことはありません。また、新制度で学区が細分化されてしまった多摩地区はもっと深刻で、立川高校都立国立高校も単独学区内で十分な数の優秀な生徒を集めることは不可能です。
 ここにおいて、首都圏公立高校1位の地位は周辺県に移りました。浦和・湘南・千葉が名実ともに首都圏公立御三家となりました。この後、都内の私立高校が、恐竜の滅びた後の哺乳類のように急激な躍進を見せます。今までのねずみのような存在から巨象に成長する高校が登場してきます。新しい進学校史の始まりです。