学区撤廃で公立高校はどうなったか? - 2001年-2006年

スマホで表を見る場合、画面を横向きにし、必要ならPCビューにしてください。

※この記事は2月16日に書いています。

 埼玉県に学区が存在しているときの東大合格者数の分布数です。学区があっても隣接学区への受験枠は存在しているので、完全に各学区が隔絶していたわけではありません。浦和高校は特別な存在なので別枠で掲載しました。

2001 2002 2003 2004 2005 2006
浦和 16 28 29 22 27 16
旧第一公立 4 5 10 6 5 11
旧第二公立 5 13 7 10 11 5
旧第三公立 1 0 0 0 0 0
旧第六公立 3 4 1 1 3 2
旧第七公立 1 0 0 3 0 1
旧第八公立 3 3 2 1 5 4
公立計 17 25 20 21 24 23

 私立には学区は存在していませんが、便宜上、学区分けしました。この期間で、浦和以外の公立は17名〜25名、私立は、17名〜22名とあまり変動がありません。6年間でこの推移は非常に安定していると言えるでしょう。浦和高校だけは、16名〜29名と変動幅が大きくなっています。埼玉県全体の東大合格者数もこの浦和高校の変動に大きく影響を受けています。
 また、既にこの時期に旧第二学区(川越、所沢)は私立が強い地域になっていました。これは、西武線東上線で都内と直結していることも大きいです。武蔵野線で多摩地区へのアクセスも便利です。埼玉東部と違い埼玉西部は都境に荒川などの自然障壁がないのも心理的に都内と直結する要因です。

2001 2002 2003 2004 2005 2006
旧第一私立 5 2 5 4 5 5
旧第二私立 12 20 12 8 7 11
旧第三私立 1 0 0 0 0 0
旧第八私立 0 0 2 5 6 6
私立計 18 22 19 17 18 22
県計 51 75 68 60 69 61