バトルフィールド埼玉2011 - 完結編 - 1/3

スマホで表を見る場合、画面を横向きにし、必要ならPCビューにしてください。

 バトルフィールド埼玉とは、首都圏の比例配分で290人いると思われる埼玉県からの潜在東大合格者数を、各高校がそれぞれの魅力を発揮し争奪戦を繰り返している状況のことを指しています。学校が優秀な生徒を囲い込む争奪戦に対してネガティブな意見もありますが、競争のない場所に向上はありません。1990年代から繰り広げられているバトルフィールド埼玉では、地元に選択肢の増加と教育環境の向上という恩恵をもたらしています。

 さて、軽くおさらいすると、1980年代の後半から増加に転じた首都圏中学受験ブームで、埼玉県南でも中学受験ブームが始まりました。埼玉県には有力な中高一貫校はなく、この地区がそのまま東京都北部の私立中高一貫校の勢力圏に組み込まれてしまいました。
 勢力圏の増大に伴い、1980年代までは東大に10人程度しか合格しなかった私立校が東大に50人以上も合格させるような学校に急成長しました(他にも東大の定員増が追い風になっています)。次に、従来、公立中を経て県立校に進学する優秀層が細り、埼玉の県立高校が不振に陥りました。1995年までは県内で東大合格者100人程度だったのが、60人台まで落ち込みました。これは、ちょうど1990年以後の中学受験で優秀層が都内に流れた時期と一致します。
 しかし、需要があるところに供給もあり、1992年、1993年、1997年に埼玉でも私立中高一貫校が参入しました。ただし、結果がでるのは6年後です。この期間中もバトルフィールド埼玉での都内私立一貫校の独占傾向は継続したままでした。