裾野を広げなければ頂上は高くならない『脱ゆとり教育』

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 前日の記事を読むと、世の中には優秀な人材とそうでない人材と隔絶されて二種類の人材がいるように読めます。ただ、前日の記事そのものに補足を追加すると、その記事の内容の焦点がぼけてしまいますので、前日の記事はそのままにします。
 ところで、そろそろWBCのシーズンですが、日本代表は運も味方して、初回から二回連続世界チャンピオンに輝いています。日本野球の強さはすばりその裾野の広さです。
 今は、多少人気が衰えていますが、私が小学生のころは男子であれば、放課後は全員広場で野球遊びをするぐらいの時代でした。昭和40年代がモデルと思われる『ドラえもん』でも、のび太が公園で野球遊びをしていますし、同じく『さざえさん』でも、かつおが公園で野球遊びをしています。
 みんなが野球遊びをして、一度は甲子園やプロ野球選手を夢見たものです。大半が小山の大将ですし、我流です。それでも中には夢を捨てずに頑張った若者もいます。そういう流れが、高度な技術を要するプロスポーツを支えています。
 最近では、それがサッカーになったようです。サッカーボールは軟球と違い、子供が遊びで蹴る分には、比較的安全なものなので、使用が許可されている公園も多く、サッカー遊びをする子供たちをよく見ます。彼らがそのままヨーロッパのプロリーグで活躍できるわけではありませんが、彼らという裾野があって、彼らの中から世界で活躍できる選手が存在できます。
 では、私も含めて彼らが、自分たちのなかからプロスポーツ選手になった友人を妬むでしょうか。競っているときは複雑な葛藤があるでしょうが、最後は心から応援するでしょう。一方、野球やサッカーをした自分は無駄なことをしたと思うでしょうか。スポーツを通して得た体力や経験は自分の糧となっているはずです。
 なぜ、学問だけは例外視するのでしょうか、学問で競わせて負けたら傷つきますか。別に学者にならなくても学問そのものは本人の知力と経験になります。学問の楽しみを知っていれば、純粋に学問で成功した人も応援するでしょう。山中教授のニュースも興味深く見るでしょう。
 自分で進路も決められない12歳に子供に向かって、この子は学問をさせるコースに乗せ、この子は『ゆとり教育』で学問なんて必要ない、そうやって二つの集団に分ける、これが今の中学受験と首都圏の公立中の姿です
 学問の機会を与えられなかった子供は、学問の楽しみを知らないからこそ、学問で成功した人を恨むでしょう。学問を与えられたほうは、ライバルの裾野が広くないので、狭い世界で満足してしまうでしょう。中には露骨に公立中の子供を軽蔑する子もいます。その差別意識は親が植えつけるのでしょう。醜いものです
 『ゆとり教育』の結果は、本来平等に扱うべき集団を、子供たちの意思とは別に、二つに分断してしまい、お互いの隔絶を広げてしまっただけでした。彼らをノーサイドにさせる環境を作ってあげるべきです。それが公立高校の復権に他なりません。