(2010年度首都圏主要高校東大合格者数と推定流入出数)
都県 | 実数 | 人口 | 補正 | 流入数 | 倍率 |
---|---|---|---|---|---|
東京 | 998 | 1300万 | 524 | +474 | 1.90 |
神奈川 | 260 | 900万 | 363 | -103 | 0.72 |
埼玉 | 84 | 720万 | 290 | -206 | 0.29 |
千葉 | 85 | 620万 | 250 | -165 | 0.34 |
合計 | 1427 | 3540万 |
上記の表は、2010年度の首都圏主要高校の東大合格者数の都県別合計です。全ての高校を対象にしていないのは、ブログ内で使うデータに一貫性を持たせるためです。合格者数の捕捉率は97%以上なので、傾向を分析する分には、十分な精度を確保できると思います。
首都圏には県境を越える通学者が多くいます。仮に各都県の人口に応じて東大合格者を配分すると、上記のように流入出数が推定できます。(都心には知的階層が多いので…、等々の反論は承知していますが、正確な資料は入手不可能なので、主観を排するために単純に人口で配分をしました。)
周辺県から東京都への通学者はいずれも流出超過なのですが、その中でも最も流出数が多いのが埼玉県です。200人以上です。埼玉県といえば、公立王国で県立浦和高校が有名です。ここ数年の浦和高校からの東大合格者数は30人程度です。浦和高校は埼玉県内の潜在東大合格者数の1割強を集めているに過ぎません。そして、浦和高校以外の県立校が1割、埼玉県内の私立校が1割、残りの7割は都内の私立校に流出しています。
なぜ、埼玉がバトルフィールドになっているとかというと、歴史的地理的に独自の文化圏を築きにくいからです。東京都と埼玉県は武蔵という同じ国でした。交通網でも両者は一体化されています。一方、千葉県北部は下総という別の国ですし、神奈川県主要部は相模の国です。横浜市以北は武蔵の国ですが、横浜独自の文化や多摩川で東京都と分断されていますので、東京都と異質の文化圏を築きやすい条件にあります。
上記の記事で、1985年と1995年の東大合格者数の増減を紹介したのですが、急成長していた高校4校のうち3校が埼玉県からの通学圏にあります。この増分が埼玉県から直接供給されたという意味ではなく、埼玉県の中学受験ブームが始まるとともに受験者数が増え、結果的に優秀な生徒を厳選しやすくなったと解釈してよいでしょう。ところが、バトルフィールドの戦いは1990年代で決着したわけではありません。今も継続中で、首都圏の最激戦区といってもいいでしょう。それは、中学受験でも高校受験でも同じです。恐らく、ここ数年でこの地区に関係する学校の進学実績は激変すると思われます。
小規模ですが類似の現象があります。私の勉強不足のため、現時点では詳細の分析ができていません。いつか機会を設けたいと思います。
- バトルフィールド多摩
- 1990年代に多摩地区に東大合格者数3桁を誇るマンモス校が急成長し、その後、急激に東大合格者数を減らした現象です。東大合格者がどこから集中し、どこへ移ってしまったのか興味があります。
- バトルフィールド千葉
- 2000年代後半に千葉県でトップ校の交代があった現象です。これは、多くの地域で起きた、公立トップ校から私立トップ校への優秀層の並行移動に思えます。
何しろ、通学圏人口、参加校数など規模において、バトルフィールド埼玉は他を圧倒しています。圧倒しているからこそ、その中には全国で最も東大合格者数の多い私立男子校や私立女子校、首都圏で唯一トップ校の地位を維持しつづける公立高校も含まれます。そして、いまだに流動的な地域でもあります。