グループ合同選抜12年史 - まとめ - ゆとり教育による公立破壊

※この記事は3月1日に書いています。

 グループ合同選抜12年史を振り返ってみましたが、まとめとして、公立高校だけの東大合格者数を都県別で考察してみます。

  • 左から年度、首都圏の東大合格者数、公立高校の合格者数、その首都圏比率、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の公立高校からの各合格者数、コメント
年度 首都圏 公立 公率 コメント
1984 1482 550 37.1% 22 85 86 244 113
1985 1472 572 38.9% 20 99 102 207 144 ★部分ゆとり世代
1986 1556 551 35.4% 28 92 95 213 123 二期生
1987 1472 519 35.3% 29 89 105 173 123 ★中高ゆとり世代
1988 1576 579 36.7% 33 94 108 194 150 大京大併願可
1989 1689 560 33.2% 37 98 110 169 146
1990 1786 603 33.8% 44 100 132 187 140
1991 1753 556 31.7% 53 92 120 160 131
1992 1889 498 26.4% 46 78 112 143 119 ★完全ゆとり世代
1993 1732 466 26.9% 47 88 103 131 97
1994 1746 445 25.5% 54 83 108 111 89
1995 1759 401 22.8% 51 87 96 94 73
1996 1634 312 19.1% 45 45 83 69 70 最終期生
1997 1717 342 19.9% 69 58 77 81 64 最終期生一浪
1998 1584 292 18.4% 53 53 54 64 68
2004 1432 227 15.9% 50 43 40 56 38 公立最低率
2014 1686 348 20.6% 45 68 39 138 58 現在

 首都圏全体として退潮が始まったのが、1989年、退潮が目に見える形で現れたのが、1992年のようです。グループ合同選抜卒業生では、4期生と7期生になります。タイムラグがあるようです。ところが、東京都だけに注目すると、既に1985年のグループ合同選抜一期生から退潮が始まっており、1990年(5期生)から一度も回復することなく、つるべ落としで最終期生(12期生)を迎えています。
 学校群は制度そのものの破壊力により、初年度から劇的な変化を引き起こしたのですが、数年立つと、都立6校体制(戸山、青山、西、富士、立川、都立国立)体制で安定しており、学校群終了まで、それほど大きな変化は起きませんでいた。
 では、制度的にそれほど破壊力があるわけでない、グループ合同選抜制度で公立高校のつるべ落としが起きたのでしょうか。なんと、1980年から開始されたゆとり教育*1と見事に年次が一致したのが判明しました。高校で導入が始まったのが1982年、これはグループ合同選抜制度初年度の1985年に卒業を迎えます。この年から「部分ゆとり世代」が受験を迎えます。1987年は中学校からのゆとり世代「中高ゆとり世代」の受験です。
 一方、小学校からは1980年にゆとり教育が導入され、その世代が受験を迎えたのが1992年になり、それ以後は「完全ゆとり世代」になります。つるべ落としはこの1992年前後に始まっていて、私立との差が歴然としました。いくら、勉強は自己努力といわれても、これだけ公立コースの基礎力が劣ってしまうといくら大学受験直前で努力しても私立コースに追いつくことは困難です。
 また、保護者がこの状況をみて、いっきに中学受験の大衆化が始まりました。そして都内の私立が躍進するとともに周辺県でも公立の退潮がはじまります。神奈川県は1988年からつるべ落とし、千葉県も1990年からつるべ落とし、最後まで公立を維持した埼玉県は1996年に陥落します。一方、都心の影響が少ない茨城県は、1997年に公立の隆盛がはじまります。
 最後にグループ合同選抜制度の廃止ですが、ゆとり教育の破壊力の前に、公立高校改革の抵抗は無意味で、グループ合同選抜制度の事務処理、不合格者の第二志望への割り当て事務でさえ負担になり、何もしない単独選抜制度に移行したのが真相だと思われます。