グループ合同選抜12年史 - コップの中の嵐

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※この記事は2月15日に書いています。

 この連載では、グループ合同選抜制度の卒業生がでる1年前の1984年からグループ合同選抜制度の最終卒業生が一浪を終えた次の年の1998年までを扱います。まず、この期間で、首都圏からの東大合格者数の全国比率と首都圏内の公私比率を紹介します。

年度 全国 首都圏 比率 公立 国私立 公率 国私率 コメント
1984 3074 1482 48.2% 550 932 37.1% 62.9%
1985 3076 1472 47.9% 572 900 38.9% 61.1% 一期生
1986 3242 1556 48.0% 551 1005 35.4% 64.6%
1987 3736 1472 39.4% 519 953 35.3% 67.7% 大京大併願可
1988 3773 1576 42.9% 579 997 36.7% 63.3% 大京大併願可
1989 3463 1689 48.7% 560 1129 33.2% 66.8%
1990 3474 1786 51.4% 603 1183 33.8% 66.2%
1991 3582 1753 48.9% 556 1197 31.7% 68.3%
1992 3619 1889 52.2% 498 1391 26.4% 73.6%
1993 3617 1732 47.9% 466 1266 26.9% 73.1%
1994 3620 1746 48.2% 445 1301 25.5% 74.5%
1995 3561 1759 49.4% 401 1358 22.8% 77.2%
1996 3529 1634 46.3% 312 1322 19.1% 80.9% 最終期生
1997 3512 1717 48.9% 342 1375 19.9% 80.1% 最終期生一浪
1998 3444 1584 46.0% 292 1292 18.4% 81.6%
2004 3088 1432 46.4% 227 1205 15.9% 84.1% 公立最低率
2014 3109 1686 54.2% 348 1338 20.6% 79.4% 現在

 まず、首都圏の全国比率に注目します。一番大きな変化は、1987年と1988年です。この二年間は東大と京大が併願可能な年でした。首都圏の比率は40%前後まで低下しています。それ以後は、1990年と1992年の50%を越えたものの、40%台後半で安定しています。首都圏内では中学受験が大衆化して公立から私立への大幅なシフトが起きたものの、中学受験で先取り学習をしても、全国的な比率を高めたことはなく、首都圏内のコップの中の嵐でした。これは公立比率が最低の年である2004年でも同じです。2014年に首都圏の比率が54%に増えています。これは、東日本大震災以後、全国的に地元指向が強まり、2012年以後、東大合格者に地元率が高まったことが理由です。この傾向が2015年以後も続くかどうかはわかりません。そろそろ地方勢の東大指向も復活してくるかもしれません。
 さて、今度は首都圏内での公立比率と国私立比率の推移です。1991年までは徐々に比率が低下するものの公立高校から東大合格者数は550人以上を維持していました。つるべ落としが発生したのは1992年以後です。グループ合同選抜最終期生の1996年には300人程度まで落ち込み、比率も20%を割ります。それ以後2004年の公立最低比率では15.9%になりました。2014年には20%台にまで盛り返しています。