私学躍進史 - 学区合同選抜時代の東大初二桁

スマホで表を見る場合、画面を横向きにし、必要ならPCビューにしてください。

※この記事は10月26日に書いています。

 学区合同選抜時代とは1950年から1968までを指し、戦後の都立全盛時代です。この時代に初二桁を達成したのは、私立が11校、国立大附属が5校です。

校名 初二桁 人数 最高 人数 最終 回数
1 △教育大附 1950年 22名 1971年 124名 2014年 64回
2 ○麻布 1950年 14名 1992年 126名 2014年 64回
3 ○武蔵 1951年 33名 1979年 86名 2014年 63回
4 ◎成蹊 1951年 10名 1954年 29名 1961年 11回
5 △東京大附 1952年 20名 1952年 20名 1953年 2回
6 ○開成 1952年 11名 1998年 205名 2014年 62回
7 学習院高等科 1952年 10名 1952年 10名 1955年 2回
8 ○成城 1953年 14名 1953年 14名 1955年 2回
校名 初二桁 人数 最高 人数 最終 回数
9 栄光学園 1955年 21名 1988年 78名 2014年 57回
10 △教育大駒場 1957年 11名 1970年 136名 2014年 56回
11 ○芝 1958年 11名 2013年 16名 2014年 11回
12 東京学芸大附 1959年 10名 1988年 115名 2014年 54回
13 お茶の水女子大付 1962年 12名 1990年 26名 2007年 30回
14 桐朋 1963年 10名 1986年 64名 2014年 50回
15 駒場東邦 1966年 11名 2014年 75名 2014年 44回
16 聖光学院 1967年 12名 2014年 71名 2014年 46回

 この時代は3つに分けることができます。一つは1950年から1953年までで、戦前からの伝統がある高校です。教育大附属(現筑波大附属)、麻布、武蔵、開成、成城がこれに該当します。東京大附属は過渡的なもので進学校路線は放棄します。成蹊、学習院は当初は進学校ですが、徐々に附属校の性格が強くなり、東大二桁合格校からは遠ざかります。
 1954年から1963年までは、戦後に成長した進学校です。栄光学園桐朋がこれに該当します。芝もこのころは二桁合格を達成していました。教育大附属駒場と、学芸大附属とお茶の水女子大附属の国立大附属勢は、当時、中学校から都立高校に進まなかった残留優秀層により二桁は達成していました。のちに、学校群により、優秀層がそのまま高校に内部進学することにより急成長します。
 1966年から1968年は、既に学校群が始まっていたころです。学校群による都立衰退を事前に察知していた層により、駒場東邦が初二桁を達成しました。神奈川県でも聖光学院が成長を始めました。