うろ覚えのドラマ評『素直な戦士たち』 - これはフィクションでなく現実

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※この記事は10月5日に書いています。

※私がこのドラマを見たのは中学生のときで、中学生の認知で理解した記憶で書いています。記憶から抜け落ちた重要な部分、ほかのドラマと混同した部分があるかもしれませんが、とにかく、ドラマ評を書いています。

城山三郎『素直な戦士たち』論
 『素直な戦士たち』のドラマ評を書き留めました。私の記憶では3割程度しか正しくないでしょう。それでも、ネットに書き留めておかないとこの名作が忘れ去られてしまいます。
 原作よりもドラマで脚色した部分が非常に重要なのですが、残念ながら、映像では再び見ることはできないと思います。あの名作プリンプリン物語のマスターテープでさえ400話まで紛失したNHKですから、このドラマのマスターテープが残っているとは考えづらいです。
 しかし、このドラマの中身は、今でも通じる普遍的なものを持っています。当時は、ネットがなく、実名かつ建前の世界です。だから、あのドラマを大袈裟、非現実と多くの評論家が斬って捨てました。ところが、ネットによる匿名のコミュニケーションが普及してくると、お受験ママの本音が語られ、あのドラマの世界がよみがえるのです。(私は、大学時代に家庭教師で既にあの価値観は現実だと気づいていました。)私は、あの価値観を否定する気はありません。母親が内面で持ち続けることは当たり前だと思います。肯定してもいいと思います。
 お受験というのは最初は二人三脚で始めます。しかし、最後は一人で戦える受験戦士が勝ちます。そして大学受験ともなると、最初から一人で戦ってきた全くタイプの異なる受験戦士が荒野から参戦してきて、二人三脚では勝ち目がありません。それは誰もが認めるでしょう。じゃあ、いくつになったら一人で戦えるようになるの、じゃあ、どうすれば一人で戦える受験戦士に育つの、教育ママにとって永遠のテーマなんだと思います。