学校群導入時の大学生は政治を熱く語る時代ですが、グループ合同選抜制度時代は、高度成長期も過ぎ、大学がレジャーランド化した時代でもあります。1985年から1996年がこれに当たります。
グループ合同選抜制度は、学区合同選抜制度の焼き直しで、実際は学校群制度から旧制度に戻すものでした。ところが、都民の教育行政に対する不信感は強く、更なる改悪と捉えられてしまいました。また、学区群時代に中学受験の準備をしていた家庭にとって、今更、高校受験を経て都立を目指すという選択肢は魅力的に感じませんでした。
- 表の公立首位校は首都圏限定、首位校、二位校が複数ある場合は前年度の東大合格者が多い学校を優先
全国首位校 | 全国二位校 | 公立首位校 | 公立二位校 | |
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1985 | ○開成(157) | ○灘(121) | 浦和(61) | 湘南(54) |
1986 | ○開成(162) | ○灘(122) | 浦和(56) | 千葉(53) |
1987 | ○開成(141) | ○灘(131) | 千葉(51) | 浦和(48) |
1988 | ○開成(167) | ○灘(130) | 千葉(62) | 浦和(60) |
1989 | ○開成(167) | △学芸大附(113) | 浦和(54) | 千葉(53) |
1990 | ○開成(155) | ○灘(123) | 千葉(62) | 浦和(60) |
1991 | ○開成(191) | ○ラサール(105) | 千葉(61) | 浦和(58) |
1992 | ○開成(191) | ○麻布(126) | 千葉(61) | 浦和(47) |
1993 | ○開成(171) | ○ラサール(107) | 千葉(56) | 浦和(48) |
1994 | ○開成(197) | ○麻布(105) | 千葉(57) | 浦和(49) |
1995 | ○開成(170) | △学芸大附(110) | 千葉(55) | 浦和(50) |
1996 | ○開成(158) | ○灘(104) | 千葉(43) | 土浦第一(32) |
グループ合同選抜12年間で、開成が全国首位を独占しました。二位校は、初期は灘高校でしたが、終盤になると学芸大附属、ラ・サール、麻布などが登場してくるようになります。
首都圏公立校では、千葉高校が9回、浦和高校が3回です。特に1986年から1995年の10年間はこの両校で1、2位を独占しました。面白いのが1985年は、浦和、湘南の組み合わせだったのが、1996年には、千葉、土浦第一の組み合わせになることです。公立高校の防衛線が、埼玉、神奈川から、千葉、茨城まで後退してしまいました。学校群時代では都立が陥落し、グループ合同選抜時代は、初期に湘南が陥落し、末期には浦和が陥落しました。この時代は東大1桁の都内私立高校が東大50名を上回るまで成長した時代でもあります。*1
この時代のトップ校は、全国では開成高校、首都圏公立高校では千葉高校になります。