トップ校の交代 - 学校群時代

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 東大紛争は、東大解体には失敗したようですが、自分たちの母校である都立進学校を解体することには成功したようです。特に後輩たちの東大受験の機会を奪ったのは、非常に象徴的な出来事でした。学校群時代は1970年から1984年まで続きます。

  • 表の公立首位校は首都圏限定、首位校、二位校が複数ある場合は前年度の東大合格者が多い学校を優先
全国首位校 全国二位校 公立首位校 公立二位校
1970 (151) △教育駒場(136) 西(100) 日比谷(99)
1971 (124) △教育大附(124) 西(81) 湘南(70)
1972 (115) △教育大附(97) 戸山(81) 西(80)
1973 △教育駒場(134) (128) 西(81) 湘南(78)
1974 (120) △教育駒場(115) 湘南(66) 浦和(60)
1975 (126) △教育駒場(123) 湘南(60) 浦和(55)
1976 (118) △教育駒場(113) 浦和(59) 戸山(56)
1977 ○開成(124) ○麻布(108) 湘南(67) 西(52)
1978 (129) △教育駒場(123) 湘南(77) 西(57)
1979 ○開成(121) (114) 湘南(60) 浦和(59)
1980 (131) ○開成(130) 湘南(67) 浦和(58)
1981 (139) ○開成(135) 浦和(51) 湘南(49)
1982 ○開成(134) (121) 浦和(54) 湘南(43)
1983 ○開成(129) (123) 湘南(58) 浦和(57)
1984 ○開成(134) (119) 浦和(54) 千葉(47)

 学区合同選抜制度からみて、革命的な変化が起きました。都立高校が全国首位から陥落したのは、予想されたことですが、首都圏公立首位校から陥落したのは予測できたでしょうか?面子を重んじる彼らですから、灘高校や教育大附属駒場に首位を奪われることは許せても湘南や浦和に首都圏公立首位を奪われたのは内心ではショックだったと思います。
 この15年間で、全国首位の獲得は、灘高校が9回、開成高校が5回、教育大附属駒場が1回です。開成高校が1977年に首位を獲得したのは、1971年の入学者が卒業した年です。1970年の都立の惨状を見て、中学受験に転向した家庭も多かったのでしょう。この年は麻布も2位に食い込んでいます。その開成が成長するまでは、首都圏では教育大附属の2校が優秀層の受け皿になっていました。首都圏が群雄割拠の状態で、全国的には灘高校が首位の獲得するチャンスができた状態です。
 次に、首都圏公立高校では、15年間で、湘南7回、浦和4回、西3回、戸山1回です。初期は西、戸山が顔を出していましたが、後半になると湘南、浦和が上位にきます。
 2位の獲得回数も加味すると、この時代のトップ校は全国では灘高校、首都圏公立校では湘南高校になります。