※この記事は11月11日に書いています。
順 | 校名 | 初二桁 | 人数 | 最高 | 人数 | 最終 | 登場 |
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122 | 三田 | 1971年 | 11名 | 1971年 | 11名 | 1971年 | 1回 |
日比谷と11群を組んだ三田高校の登場です。しかし、あの日比谷と組んだ割にはたった一回きりの二桁合格でした。それもそのはず日比谷高校自体の東大合格者数が激減したからです。日比谷高校というのは特別な存在で、転居や越境してでも通う人が多数いました。だからこそ、日比谷を選べないとなると急速に優秀層が去ってしまったのでしょう。日比谷のブランド価値はナンバーワンであること、ナンバーワンでなければ価値がないということです。逆に言えば、今はその価値が反転中でもあります。
一方、山手の22群や32群がそれほど崩れなかったのは、山手の都立はナンバーワンがブランドではなかったので、青山や富士への割り振りもそれほど、抵抗がなかったのでしょう。