東大二桁合格校列伝 - 1950年埼玉県(浦和,松山)

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校名 初二桁 人数 最高 人数 最終 登場
15 浦和 1950年 17名 1985年 61名 2012年 62回
19 松山 1950年 12名 1950年 12名 1950年 1回

 1950年に初登場した東京都の高校は前回までで終わり、今回からは他の道府県になります。まず、埼玉県です。埼玉県からは浦和高校と意外にも松山高校の2校が初回登場です。両校はその後対照的な運命をたどりました。
 最初は浦和高校です。通算東大合格者数では都立全盛期の貯金がある都立の上位校には及びませんが、すべての期間でトップ校としての地位を保ち続ける公立高校としては全国無二です。1950年以来62回登場の皆勤賞を続け、これは、筑波大附属高校、麻布高校と並び、わずか3校です。学区制限のハンディがある公立高校では浦和高校だけです。最盛期に全国10傑入りもしていました。
 一方、松山高校ですが、愛媛県の高校ではありません。埼玉県東松山市にある男子校です。埼玉県には県立四天王(浦和、熊谷、川越、春日部)という男子校が有名ですが、松山高校も現在に至るまで男子校を続けています。1950年に初回二桁合格を達成したあと、これ一回きりで二桁合格校から姿を消しました。伝統校として、『wikipedia:埼玉県六校応援団連盟』の活動も続けています。