絶望高校受験 6 - 湘南高校中等部?

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 湘南高校は選抜方法で常に逆風に晒されていました。1976年の「内申書事件*1」などはその典型例です。相対評価を基本とした内申書で選抜を行っているなかで、優秀な生徒が多く集まる国立大学附属中の生徒を絶対評価内申書で受け入れていたことが問題になりました。
 また、通学区が年々再分化されて、通学圏人口を増やすことができませんでした。しかし、東大合格者数の変遷を見るかぎり、それが往年の湘南にとって直接の衰退原因になったとは思えません。以下に湘南と栄光学園の東大合格者数の変遷を紹介します。

1964-1968 1970-1974 1975-1979 1980-1984 1985-1989
湘南 288 353 317 258 199
栄光 192 256 278 318 347

 湘南高校藤沢市にあり、栄光学園鎌倉市にあります。どちらも相模湾に面した県南の地にあります。公立トップ校と私立トップ校が県都にないのは神奈川県独特の状況です。確かに、徐々に栄光が勢いを増し、湘南が停滞していますが、湘南と栄光は1950年代から共存共栄状態にあり、住み分けができていました。栄光の躍進と湘南の衰退は直接の因果関係はないと思います。

 実は、往年の湘南高校は公立でありながら、一貫校に似た性格を持った学校でした。制度的にそうなっているのでなく、地域住民の集合意思がそのような学校を作り上げました。湘南学区への教育転居や隣接学区からの暗黙の越境入学も多数ありました。特に、湘南学区には湘南高校へ多数入学者を輩出する中学校が自然発生的に出来上がります。内申書事件で、国立大附属中が排除された以後も、近隣の公立中に同様の性格を持つ学校が出来ました。
 確かに不公平感のある状況ですが、優秀層を集めた中学校が自然に発生し、そこで切磋琢磨した生徒を大量に引き受けることで、湘南高校は学力レベルを保っていました。アテスト*2を入試の評価に入れたのも、内申書相対評価をアテストの絶対基準で補う性格もあります。そう思うと、神奈川県の一貫校指向は昔も今も変わらないのだとつくづく思います。
 では、なぜ80年代前半まで保たれていた湘南と栄光の均衡が崩れてきたのでしょうか?減ったところがあれば、増えたところがあります。両者が似ても似つかなくても、それは根っこでつながっているものです。例えば、近年、日比谷高校の伸張が著しいですが、当初、日比谷が伸びるなら西高校の優秀層が奪われれると予測されましたがそうはなっていません。現象として八王子東の停滞となって現れました。八王子東近隣の生徒が、日比谷に直接通っているわけではありません。日比谷←西←国立←八王子東という玉突き移動が起きています。
 80年代後半に急速に伸びた学校があります。それが神奈川県激震の鍵を握っています。