1990年代を前半と後半に分けた5年毎に神奈川県の東大合格者数の合計と、その前段階として1980年代後半の数値を紹介します。括弧内の数値は資料がそろっていないので参考値です。私立には、○男子校、●女子校、◎共学校(別学混合校も含む)の印を付けました。
位 | 1985-1989 | 東大 | 1990-1994 | 東大 | 1995-1999 | 東大 |
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1 | ○栄光 | 347 | ◎桐蔭 | 481 | ◎桐蔭 | 434 |
2 | ◎桐蔭 | 260 | ○栄光 | 325 | ○栄光 | 298 |
3 | 湘南 | 199 | ○聖光 | 178 | ○聖光 | 184 |
4 | ○聖光 | 101 | 湘南 | 153 | ○浅野 | 115 |
5 | 厚木 | 91 | ○浅野 | 97 | 湘南 | 84 |
6 | 横浜翠嵐 | (48) | ●フェリス | 74 | ●フェリス | 76 |
7 | ○浅野 | 47 | 厚木 | 65 | 横浜緑ヶ丘 | 43 |
8 | 横須賀 | (44) | 柏陽 | 43 | 厚木 | 32 |
9 | 平塚江南 | (44) | 横浜翠嵐 | 42 | 横浜翠嵐 | 28 |
10 | 柏陽 | 39 | 横須賀 | 39 | 光陵 | 24 |
この期間になると明らかに公立高校の苦戦が読み取れます。上位6校のうち、5校が私立勢によって占められています。アテスト*1、百校計画*2により、公立高校への不満と不信感があったものの、直接の引き金は1990年代の中学受験ブームによるものです。埼玉県と比べると5年程度ブームが前倒しになっています。そして、その遠因を考えると、東京都のグループ合同選抜制度*3にたどり着きます。当時、私立勢の攻勢から首都圏の公立高校を守っていたのは、西高校と戸山高校だったのでしょう。