絶望高校受験 2 - 1970年代

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 神奈川県には、公立高校に影響を及ぼした以下のキーワードがあるのですが、現象面で直接影響が出てくるのは後のことです。まず、時系列で東大合格者数を追っていくことで、主観を排した分析ができます。同様の手法は『都立高校衰亡史』でも使用しました。

 1970年代を前半と後半に分けた5年毎の東大合格者数の合計と、その前段階として1960年代後半の数値を紹介します。括弧内の数値は資料がそろっていないので参考値です。私立には、○男子校、●女子校、◎共学校(別学混合校も含む)の印を付けました。

1964-1968 東大 1970-1974 東大 1975-1979 東大
1 湘南 288 湘南 353 湘南 317
2 ○栄光 192 ○栄光 256 ○栄光 278
3 平塚江南 75 横浜翠嵐 89 横浜翠嵐 96
4 横浜翠嵐 37 ○聖光 73 ○聖光 57
5 小田原 (24) 平塚江南 59 平塚江南 49
6 ○聖光 (23) 横須賀 (16) ◎桐蔭 (39)
7 横須賀 (10) 希望ヶ丘 (16) 光陵 (30)
8 慶應 (6) 横浜緑ヶ丘 (8) 希望ヶ丘 (29)
9 希望ヶ丘 (5) 柏陽 (1) 横須賀 (28)
10 ●フェリス (1) 小田原 (14)

 ちょうど、東京都が学校群を導入して都立高校の環境が激変した年代です。神奈川県で大きな変化は見られません。私立の栄光学園が伸び、70年代後半には湘南に肉薄し、1976年に単年度で逆転した年もありましたが、湘南は相変わらず東大合格者を多数輩出していました。
 聖光学院が上位5校に飛び込み、当時の新設校、桐蔭学園(1964〜)が上位10校に加わりましたが、公立高校の失策というよりも、私立の自助努力で伸びることのできる範囲内です。二番手の公立勢で、平塚江南横浜翠嵐の逆転がありますが、これも地理的な盛衰の影響で公立高校そのものの盛衰とはいえません。それでも、この期間は百校計画が始まり、内申書事件が起きたときでもあります。