都立高校衰亡史 6 - 1985年〜1989年

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 該当期間における各高校・各学区の5年通算東大合格者数です。残念ながら資料が完備しているわけでないので、合格数が5名以下の年度は資料がありません。資料が不足している数字には、「*」印を付けています。ただし、大枠には影響はありません。

グループ 校名 1980-1984 1985-1989 増加率
#1 41* 47* 14.6%
#11 日比谷 28 47 67.9%
#11 三田 13* 0* -100.0%
グループ 校名 1980-1984 1985-1989 増加率
#2 301* 242* -19.6%
#21 戸山 161 163 1.2%
#21 青山 140 79 -43.6%
グループ 校名 1980-1984 1985-1989 増加率
#3 302* 170* -43.7%
#31 西 182 145 -20.3%
#31 富士 120 25* -79.2%
グループ 校名 1980-1984 1985-1989 増加率
#4 75* 62* -17.3%
#41 小石川 75 62 -17.3%
グループ 校名 1980-1984 1985-1989 増加率
#5 14* 0* -100.0%
#51 白鴎 14* 0* -100.0%
グループ 校名 1980-1984 1985-1989 増加率
#6 47* 35* -25.5%
#61 両国 40* 35* -12.5%
#62 小松川 7* 0* -100.0%
グループ 校名 1980-1984 1985-1989 増加率
#7 275* 194* -29.5%
#71 八王子東 0* 32*
#81 立川 116 33* -71.6%
#91 武蔵 0* 27*
#92 国分寺 0* 7*
#102 国立 159 95 -40.3%

 予想通り、優秀層が学区トップ校に集中しました。日比谷が伸び、戸山も微増です。そして、これまた予想通り、切り捨てられた青山と富士が激減しました。
 また、何の意図で学区を導入したのか、多摩地区は学区が分断されたことで立川が二桁合格もできない学校になり、都立国立も圧倒的な合格数を出せなくなりました。八王子東や都立武蔵のような新興校も成長しましたが、とても安定して二桁合格を出せる規模ではありません。二桁合格でも出来ないような都立を林立させては私立の草刈場になってしまいます。
 予想を覆したのは、公教育を維持していた最後の牙城、第二学区、第三学区、多摩地区が陥落状態になったことです。