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1990年代、この地域で圧倒的に優位に立っていた都内私立校に転機が訪れたのは、埼玉県側の要因よりも東京都側の要因によります。東京都の教育行政により都立トップ校が難関国立大学進学を目標とした体制に舵を切ったからです。これにより高校募集で都内私立勢が守勢に回りました。これから間接的に影響を受けたのが埼玉県の高校募集です。埼玉県内部でも2004年度から学区制を廃止し、進学指導対策を採り始めました。学区制廃止前後の推移を見てみます。2007年度から学区制廃止後の卒業生です。
(埼玉県公立高校の東大合格者数合計の推移)
年度 | 実際値◎ | 回帰値● | 概略図 |
---|---|---|---|
2006 | 36 | 40.2 | ◎●□□□□□□□□ |
2007 | 49 | 47.2 | □□□◎□□□□□□ |
2008 | 55 | 54.2 | □□□□□◎□□□□ |
2009 | 71 | 61.2 | □□□□□□□●□◎ |
2010 | 60 | 68.2 | □□□□□□◎□□● |
当初、学区制廃止により浦和高校への一極集中が懸念されたのですが、予想に反し、埼玉県の県立高校全体がレベルアップしました。この期間に、各校の最大値が、浦和36名、大宮16名、川越10名、春日部9名、浦和一女7名と、高校募集にも関わらず、都内の中堅私立一貫校に匹敵する実績を出し始めました。 従来は都内私立男子校の2番手や3番手に進学していた層が、展望の見えない都内私立男子校よりも、県立高校にとどまるようになったのでしょう。