公立中等教育学校は地域社会を荒廃させる

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※この記事は2月11日に書いています。

 「一月行く、二月逃げる、三月去る」は有名なフレーズです。年が明けてから仕事が忙しくブログの更新日時が現実に日時に追いつくことができませんでした。本日ようやく追いつくことができました。今後は、2014年大学合格発表シーズンが始まりますので、その集計や分析で5月まではネタが尽きないので、ブログ停滞の状況も5月までは防げそうです。
 さて、『公立中高一貫校がやってきた』*1の連載で、新潟県*2で厳しい意見を書いたら、早速コメントが付いて感謝しています。更新をサボっていたのですが、このブログの読者も多数いることを認識しました。
 『中等教育学校は地域社会を荒廃させる』の表題は、「風が吹けば桶屋が儲かる」ようなフレーズです。新潟県のように純朴な子供が多い地方では杞憂かもしれませんが、首都圏で起きている中学受験の現状は正しく把握しておく必要があります。
 中等教育学校とは、中学校と高等学校を合体させた真の中高一貫教育を実践する学校です。校長は一人しかおらず、教員も中学校1年生から高校3年生まで流動的に教えることができます。カリキュラムも中学と高校の垣根がなく柔軟に前後させることが可能です。その代わり、欠員補充を除けば、高校からの外部募集できません。中3と高1の境目がないのですから、外部から高1に編入してきても学習面で対応できないからです。
 大半の中等教育学校は中学入試時に、筆記、論文、面接、調査書などで選別を行っています。選別方法はさまざまですが、どのような方法でも優秀な生徒が入学してくるのは確かです。また、6学年を同一校舎に収容するという性格から、どうしても一学年の人数は少なくせざるをえず、少数精鋭の教育になります。ここまでの書き込みから、中等教育学校は一度入学すれば、優秀な同級生と効率的なカリキュラムにより、6年間で非常に優れた教育成果を出すように思います。事実そうです。一部、少数精鋭の環境で対人面の問題を抱える生徒はいるとの指摘がありますが、元々、対人面でもソツなくこなす生徒を選抜したのですから例外的な存在でしょう。本当に中等教育学校は理想的な環境です。
 では、なぜ中等教育学校が地域社会を荒廃させるのか?まず最初に一般公立中が荒廃します。生徒には三種類います。「どんな環境でも前向きで努力する生徒」「どんな環境でも刹那的で怠ける生徒」「環境に応じてどちらにもなる生徒」。中等教育学校は「どんな環境でも前向きに努力する生徒」を一般公立中から奪います。これが私立中高一貫校なら経済的なフィルターが掛かるので、経済的な理由で「どんな環境でも前向きで努力する生徒」が一般公立中にも来てくれます。ところが、公立中高一貫校は経済力フィルターが掛からず、「どんな環境でも前向きで努力する生徒」をすべて一般公立中から奪うのです。
 優等生のいなくなった一般公立中は悲惨です。「どんな環境でも刹那的で怠ける生徒」を牽制する優等生がいないのですから、「環境に応じてどちらにもなる生徒」すべが怠けるほうに転びます。そうなると、自主的に努力する生徒がいないのですから、教師は内申書を脅しに使って生徒を管理するしかありません。努力嫌いが内申点を上げるには、相互の足の引っ張り合いか密告しかありません。それが荒廃した一般公立中の現状です。
 別に中学校だけが荒廃しているのならそれでいいのですが、平日昼間のファミレスに行くと分かると思います。母親たちの会話の9割が地元公立中の教師や不良たちへの愚痴なのです。そりゃ母親にとって最大の関心事が子供なのですから、子供の教育環境が荒廃すれば母親たちの思考もネガティブになり、地域そのものがギスギスしてきます。これが地域の荒廃です。
 特に優秀層が薄い地方に中等教育学校を導入するのは非常に危険なことなのです。

  • 一般公立中から優秀層を奪い、一般公立中のモラルが崩壊する。
  • 中等教育学校が地区トップ校になると、一般公立中の数少ない優秀な生徒が高校受験への意欲を失う。

 これが併設型中高一貫校であれば、高校募集の枠は少なくても一般公立中の優秀な生徒の目標になるので、彼らにとって、勉強と努力という規範が維持できます。その状況が一般公立中荒廃へのかすかな抵抗勢力になってくれます。生徒数の少ない中小都市での公立中高一貫校は、地区トップ高校が附属中を設立することです。実際、新潟県以外では、ほとんどが併設型中高一貫校です。和歌山県*3のような方式が好ましいと思われます。