高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言

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高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書)

 コメント欄で紹介されていたので、記事にします。1969年春当時15歳から17歳ですから、2013年春の時点では、59歳から61歳になります。高校1年生が主体的に行動するとは思えないので、実態は、当時の高校3年生、現在61歳が主力だったのでしょう。
 私は、こういう世相もの(失礼!当事者)を考えるとき「三つ子の魂、百まで」を思い浮かべます。本当に年代によって価値観は違いますし、若いころに身に着けた価値観は驚くほど変化しません。今の60代(特にマスコミOBの評論家)は未だに安保闘争継続中なんだなと感じることがあります。体制を倒したあとへの展望や責任感が全くないというか…、それで次世代がいつも迷惑をこうむるのも、ここ40年間まったく一緒です。(東南アジア♂♀ツアー、土地バブル、なぞの年金未納問題)あとで考えると、本当、イナゴのように付和雷同しては、全てを壊してあとは知らん振りです。もっと冷静に行動すれば、たいした問題ではないのに、なぜか横並びで壊すのが好きな年代なんですね。
 それぞれの年代で大切だと感じるものは違いますし、それぞれの同年代では共感できることも、年代が違うとナンセンスに思えたりするものです。それは私の代(現在40代)でも言えることで、私と妻が『連続テレビ小説あまちゃん』にはまっていても、私の親の代(70代)から見たら全く理解できなかったりします。『竹の子族*1』なんて聞いても年代が違うと全く意味が分からなくなるものです。もちろん、子供の代(10代)からも私の代は化石だと思われています。
 当時(60代)、恵まれていたのは、高校中退でも人生がある程度やりなおせるほど、社会が寛容でパイが広がっている時代だったことです。私の代(40代)でも、さすがに高校中退はまずいけど、高校か大学さえ出ていれば、何とかなる時代でした。私も含めて新卒でリスクの高いベンチャー企業に就職した人も多数いました。私の業界は合奏連衡が激しいので、いつの間にか会社ごと大企業に買収されてしまったんですが。
 私の子供の代(10代)だと、大学を卒業しただけでは無意味で、新卒で安定した会社か公務員にならないと、人生始まる前に終わるようです。だから、みんな驚くほど大学の授業にまじめに出席しているようです。
 どちらにしろ、同世代であれば、『高校紛争』のそれぞれの事例に共感できて、それぞれの行動様式の細部まで意味が分かると思います。逆に世代が離れれば全く理解できなくなります。しかし、親子の情だけは、それこそ1000年経っても変わらないので、「子供たちよ、元気があるのはいいが、退路だけは確保しておけよ。」と一言をいうぐらいです。その退路さえも年代が違うと全く解釈が異なります。