寒村の孤独、異国の孤独

スマホで表を見る場合、画面を横向きにし、必要ならPCビューにしてください。

※この記事は3月16日に書いています。

 本当は東大前期の合格発表があったので、それに関する記事を書きたい気もするのですが、雑誌早売りの情報でも3月12日からです。ブログ日時3月11日ではフライングになってしまうのでまた放言を書きます。

 先日の記事『才能の世襲、努力の世襲』のコメント欄で、学区トップ校の首席が旧帝大にも合格できない状況はどうするのかという問題提起がありました。越境や交通機関で無理をすれば、そのような寒村で孤独な環境に置かれた優秀な人材というのは限られた数しかいないと思うんですが、どうでしょうかね。
 さて、寒村と同様に、教育機関から隔絶される状況があるんです。それは、海外駐在員家族です。ニューヨークやロンドンみたいな花形駐在であれば、現地の日本語学校も充実しているし、おまけに英語まで身に着けてうらやましいと思うでしょう。(実際はそんなに甘くないですけど。)
 ところが、中には非英語圏発展途上国に赴任している駐在員も多くいます。彼らは、日本から数ヶ月遅れで通信教材を取り寄せ、母親が教師代わりになり、来たるべく帰国に備えて努力しているわけです。教育隔絶環境にいるとしたらそうするしかないでしょう。
 いつかは都会に帰れる駐在員と貧しい寒村の労働者を一緒にするなといわれそうですが、本当に極端に隔絶した環境になれば、それこそ親が手取り足取り教育をするしかありません。しかし、このブログの対象である「首都圏」という日本の人口の3分の1を擁する地域が「親が手取り足取り教育をする」ような状況でしか報われない状況に陥ったら、それは日本が教育格差社会かつ教育貧困社会になること意味し、忌忌しき問題です。