門をくぐればライバルがいて、門を旅立ってもライバルは常に心のなかにいる

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※この記事は6月16日に書いています。

 学校群15年史の最後に読者の方からコメントが付いていたのですが、この6月から部署が異動になり仕事が忙しかったので、返信もできずにいました。長々と文章を書くのは性分でないので、私が高校や大学に求めるものを書くことにしました。

  • 「門をくぐればライバルがいて、門を旅立ってもライバルは常に心のなかにいる」

 これは私が高校や大学から得たものであり、設備や教育内容なんて二の次だと思います。特に、紙と鉛筆さえあれば勝負ができる進学校では、学校なんて青空教室で十分だと思っています。
 私が高校に入って真っ先に感じたのは、こいつらと3年間やっていくのかという期待と、3年間やっていけるのかという不安です。教師の質や校舎の古さなんて関係ありません。教師から大学受験に直接役立つような情報はほとんど得られません。(しかし、間接的には大学受験や人生に役立つので、高校の授業をまじめに聞いていた人ほど、大学受験では成功しています。)
 大学受験に役立つ情報はライバル同士で共有します。模試の情報、カリスマ講師の情報、高校生ですからお金なんてありません。模試や講習を受けた人から有用な資料を回してもらったりしました。これはほんの一例で、大学受験にかぎらず、学校行事などいろいろな状況に応じて、ライバル同士で情報を共有して、目標に向かって切磋琢磨し喜怒哀楽を共有したものです。
 3年間たてば、それぞれが別の進路を進みます。ライバルたちも新しい環境で新しい挑戦を始めています。ライバル同士で集まって昔を懐かしむ暇なんてありません。しかし、何十年たっても、心の中には常にライバルがいます。研究や仕事で行き詰ったとき、全てを投げ出したくなったとき、「ちょと待て。あいつならここで諦めたりしない」。そういうライバルたちの虚像が心の中にいるだけで、困難を乗り越えられます。もちろん、彼らはあくまでも虚像ですから、現実には人生で失敗しているかもしれません。卒業以後、音信不通になっているライバルもいます。それでも心のライバルは、高校時代以来、常に自分と競っている存在であり続けます。
 これは大学時代のライバルでも同じです。そういう心のライバルと出会うために、高校3年間、大学4年間を選ぶわけです。求めるのは教師でも設備でもありません。生涯のライバルです。