絶望高校受験 8 - モンスターの功罪

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受験革命―生徒は、親は、学校は、どう変わるべきか

 しかし、モンスター桐蔭学園も1999年に東大合格者数を半減させて以来、急速に勢いを失います。原因としては、学園内の内紛、大手塾との敵対などの噂がありますが、このブログではそこに食い込むほどの力量はありません。一般的に原因は次のように考えられます。

  • 中学受験ブームが、いよいよ高校受験の優秀層を奪い始めた。
    • 公立の教育行政への不信から公立離れが起きたのですが、例外的に難関私立は高校募集からでも優秀な生徒を集めることが可能でした。開成、武蔵、桐蔭がその代表例です。開成、武蔵は高校募集の数が少なかったのに対して、桐蔭が高校募集の割合が大きかった点で違います。開成は高校募集で優秀層が薄くなっても、最上位層を集める力量がありましたし、絶対数では、高入生の占める割合は多くありません。武蔵は、優秀層の枯渇を敏感に察知して2000年に高校募集を停止しました。しかし、桐蔭学園は規模が大きすぎて、縮小の決断はできなかったのでしょう。個別事情はあったとしても、大きな潮流としてこれが一番の原因だと思います。
  • 大規模化が災いして、イメージ戦略に失敗した。
    • やはり、東大100名合格校と甲子園常連校は両立しなかったようです。関西には、まだ京大の合格数とスポーツを両立させる学校はありますが、首都圏ではイメージ的に無理がありました。文武両道と言えば、聞こえは良いのですが、それは誰もが虚像であると知っており、文武分業という実像をさらけ出してしまうと誰でも興ざめするものです。一学年1000人以上という生徒数は単一学校として維持するのは無理があります。1000人以上の特技を全て引き出すことは不可能であり、内部の分業で様々な歪が生じてしまいました。

 しかし、中高一貫後、わずか7期生で東大二桁合格を果たし、19期生で空前絶後*1の東大三桁校を達成した桐蔭学園は首都圏で多くの新設校の手本となりました。また、マンモス校という桐蔭の負の側面を解消するために、次のような形式に進化しました。

  • 単一校のマンモス化を避け、通学圏が重ならない別の地域に、中規模の難関進学校を分散させる。
  • 単一校のマンモス化を避け、難関進学校と文武両道校に分離する。
  • 中学募集、高校募集の合流コストを避け、完全分離する。

 これは、桐蔭学園にも逆輸入されて、今では、桐蔭学園中等教育学校という少数精鋭の難関進学校を独立させることで建て直しを図っています。

*1:今後は新設の学校から東大三桁合格校は出現しないでしょう。