埼玉県立四天王

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 埼玉県立四天王は、旧制中学の流れをくんだ男子校です。埼玉県の公立高校は非常に保守的で旧制中学発足時から連綿と伝統を引き継いています。現在でも維持されています。他の都道府県では様々な教育改革の影響で、旧制中学の社会的な評判が毀損したり、共学化していくなかで、特殊な状況と言えるでしょう。
 埼玉県は学区を導入している時期と撤廃した時期があるので、四天王の通学圏も時代により変わりますが、受験生が四天王のいずれかを選んでいたことには変わりありません。四天王の過去(1950年以後)の東大合格実績を紹介します。

県立旧制 現校名 初二桁 合格数 最高年 合格数 最終年 回数
第一中 浦和 1950 17 1985 61 2011 61
第二中 熊谷 1952 14 1964 16 1991 23
第三中 川越 1979 10 1988 20 2009 18
第四中 春日部 1989 10 1995 11 2000 3

 浦和は皆勤で二桁合格を果たしています。首都圏のみならず、都立高校学校群以後は、全国で随一の実績を残している公立高校です。他の記事でもたびたび触れているので、ここで多くを語る必要はないでしょう。
 熊谷の場合、1952年という早い段階で二桁合格校に加わり、1991年までの40年間で23回二桁合格を達成して、最高値は16名です。最近は、県北部の人口シェアが相対的に低下したのが理由で、二桁合格に届くのが厳しい状況です。
 川越の場合、1979年に初二桁を達成して、この年に学区制が導入されて以後、浦和と東西で住み分けが行われました。2009年までの31年間で、18回二桁合格を達成して、最高値は20名です。これは今でも浦和に次ぐ県下二番手の記録です。ここ2年間は二桁合格を達成していませんが、勢いはまだ維持しています。
 春日部は、1989年と、かなり最近になってからの二桁合格です。1995年に最高値11名を達成して、2000年までの12年間に3回達成しています。地理的に浦和と競合する位置にあり、当初から他校に比べて実績を出しづらい状況です。
 埼玉県立四天王は、東大合格数だけは全体像をつかめないので、大学合格発表シーズン恒例の「バトルフィール埼玉2012」で詳細を掘り下げていく予定です。