東大募集人員の変遷

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 『大学受験・進学60年史プロフィール』(http://univ.howtolearn.biz/) で東京大学の募集人員の変遷がまとめられていました。同じ東大合格者数100名でも募集人員や合格者数の多寡によって意味が違ってきます。まず募集人員が変更になった年度と、合格者数が大幅に変化した年度を一覧表にします。

年度 募集人員 合格者数 0 ⇔ 4000
1965 2821 2827 ##########
1979 3063 3077 ###########
1986 3218 3230 ############
1987 3218 3736 ##############
1988 3396 3773 ##############
1989 3396 3466 ############
1990 3416 3474 #############
1991 3536 3582 #############
1992 3586 3619 #############
1997 3476 3512 #############
1998 3416 3470 #############
2000 3253 3295 ############
2008 3053 3100 ###########

 募集人員は団塊ジュニア世代が受験する1992年から1996年までに3586人で最多になっています。この期間中に、1992年に麻布126名、桐蔭学園114名、巣鴨78名、1995年に海城68名、1996年に桜蔭93名と最高値を記録しています。
 一方、1987年と1988年は、募集人員は3218人と3396人で最高値ではありませんが、合格者数は3700名を超えて最高値を記録しています。この2年間は東大・京大の併願が可能な年で多くの入学辞退者を出しています。それぞれ、290名と381名です。それ以外の年度は多い年で数十名、少ない年では数名程度です。この2年間に、1987年に甲陽学院57名、1988年に洛星66名、東大寺学園63名、久留米大附設57名と関西以西の高校が最高値を記録しています。
 また、1988年に学芸大附属115名、栄光学園78名と併願の長所を生かし、関東勢も最高値を記録しています。
 余談ですが、大学進学率の差はありますが、団塊世代の受験時は3000人を割っていた東大の募集人員が、団塊ジュニア世代以後の少子化でも依然として3000人を超えていますから、随分、広き門になったという気がします。